Luchino Visconti / ルキノ・ヴィスコンティ

モドローネ伯爵ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906年11月2日 – 1976年3月17日) は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。

Luchino Visconti / ルキノ・ヴィスコンティの映画

長編
・ 郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1942年)
・ 揺れる大地 La terra trema: episodio del mare (1948年)
・ ベリッシマ Bellissima (1951年)
・ 夏の嵐 Senso (1954年)
・ 白夜 Le notti bianche (1957年) 
・ 若者のすべて Rocco e i suoi fratelli (1960年) 
・ 山猫 Il gattopardo (1963年)
・ 熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell’orsa (1965年) 
・ 異邦人 Lo straniero (1967年)
・ 地獄に堕ちた勇者ども The Damned / La caduta degli dei (1969年)
・ ベニスに死す Death in Venice / Morte a Venezia (1971年)
・ ルートヴィヒ Ludwig (1972年)
・ 家族の肖像 Conversation Piece / Gruppo di famiglia in un interno (1974年)
・ イノセント L’innocente (1976年)

短編
・Appunti su un fatto di cronaca (1953年) ドキュメンタリー
・われら女性 Siamo donne (1953年) オムニバス
・ボッカチオ’70 Boccaccio ’70 (1962年) オムニバス
・華やかな魔女たち Le streghe (1966年) オムニバス
・タッジオを求めて Alla ricerca di Tadzio (1970年) ドキュメンタリー

受賞・ノミネート
第9回ヴェネツィア国際映画祭国際賞受賞 (『揺れる大地』)
第15回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品 (『夏の嵐』)
第18回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞 (『白夜』)
第21回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞、国際映画批評家連盟賞受賞 (『若者のすべて』)
第16回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞 (『山猫』)
第26回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞 (『熊座の淡き星影』)
第29回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品 (『異邦人』)
第42回アカデミー賞脚本賞ノミネート (『地獄に堕ちた勇者ども』)
第24回カンヌ国際映画祭 25周年記念賞受賞 (『ベニスに死す』)
第25回英国アカデミー賞作品賞、監督賞ノミネート (『ベニスに死す』)

Luchino Visconti / ルキノ・ヴィスコンティの経歴

1906年11月2日、イタリア王国ミラノで生まれた。実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った。

1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で映画監督としてデビュー。原作の使用許可を得ていなかったため、原題は『Ossessione (妄執)』である。同作は現在ではネオレアリズモ運動の先駆的作品と称されることもある。ヴィスコンティは以後、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカなどと共にネオレアリズモの主翼を担う存在として知られるようになった。その後、数年間は舞台やオペラの演出家として専心した。また、第二次世界大戦中にはイタリア共産党に入党した。戦後、1948年に南イタリアの貧しい漁師たちを描いた『揺れる大地』を発表し、6年ぶりに映画監督として復帰。同作は第9回ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞した。以後、『ベリッシマ』(1951年)や『夏の嵐』(1954年)といったネオレアリズモに根差した作品を発表した。1957年にはドストエフスキーの同名小説を映画化した『白夜』を発表。第18回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。また、この頃に共産党から離党した。

1960年、アラン・ドロンやクラウディア・カルディナーレ、アニー・ジラルドらを起用したネオレアリズモの集大成的大作『若者のすべて』を発表。第21回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。ネオレアリズモが下火となった以後は、自身の出自でもある貴族の没落や芸術家を描いた重厚で耽美的な作風に傾倒した。1963年、バート・ランカスターを主演に迎え、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの同名小説を映画化した『山猫』を発表。第16回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。1965年には『熊座の淡き星影』が第26回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。1967年にはマルチェロ・マストロヤンニとアンナ・カリーナを起用し、アルベール・カミュの同名小説を映画化した『異邦人』を発表した。

1969年、ダーク・ボガードやヘルムート・バーガー、イングリッド・チューリン、シャーロット・ランプリングらを配した『地獄に堕ちた勇者ども』を発表。ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける製鉄一族の凋落を描いた。日本では三島由紀夫に激賞された。1971年には再びボガードを起用し、トーマス・マンの同名小説を映画化した『ベニスに死す』を発表。第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞した。同作はマーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットを一躍有名にした作品としても知られる。原作ではマーラーをモデルにした主人公アッシェンバッハは作家であるが、ヴィスコンティはそれを作曲家に変更している。また、タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは本作をきっかけにアイドル的な人気を博した。翌1972年にはヘルムート・バーガーを主演に据え、バイエルン王ルートヴィヒ2世の即位から死までを史実に沿って描いた歴史大作『ルートヴィヒ』を発表。ヴィスコンティは撮影中に病に倒れたが、過酷なリハビリをこなした末に同作を完成させた。しかし、左半身の後遺症は生涯残り、以後は車椅子での生活を余儀なくされた。これら3作品は19世紀後半から20世紀前半のドイツ圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いた「ドイツ三部作」と呼ばれる。

1974年、バート・ランカスターやヘルムート・バーガー、シルヴァーナ・マンガーノを起用した『家族の肖像』を発表。ランカスターが演じた孤独な老教授はヴィスコンティが自身を投影した人物とされる。日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開され、異例のヒットを記録。キネマ旬報ベストテンの第1位や日本アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した。1976年にはガブリエーレ・ダヌンツィオの同名小説を映画化した『イノセント』を発表。貴族映画の傑作として高く評価された。

同年3月17日、ローマにて69歳で死去した。

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  1. Le notti bianche (1957) / 白夜

  2. Rocco e i suoi fratelli (1960) / 若者のすべて

  3. Ludwig (1972) : ルードウィヒ/神々の黄昏

  4. Il gattopardo (1963) / 山猫

  5. La caduta degli dei (Götterdämmerung)(1969) : 地獄に堕ちた勇者ども

  6. Ossessione (1942) : 郵便配達は二度ベルを鳴らす

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